フーテン少年日記 / Okoshi Naoto

ドードー・フロム・ザ・ユートピアという名前で音楽をつくっています。

夏っぽさ、無視できず。

もうすでに、年末の流行語大賞に取り上げられそうな言葉の100倍くらいは「暑い」って単語が耳に入ってきているし、その10倍くらいはそう言っている。のだけれど、今年の夏はなぜだか不思議なもので、「これで35度なら、なんか乗り切れそうな気もするな」っていう、いままで感じたことのない感覚もある。

ぼくは季節の中で夏が1番きらいだ(ちなみに、春は論外なので、選択肢にすら入らない)。


夏の名誉のために補足しておくけれど、夏がもたらす様々なものに関しては好意的に捉えている。線香花火をどっちが長く保たせられるかなんてかわいい競争や、お祭りの屋台で並べられているりんご飴の光沢に対する憧れ、太陽光線に屈折するプールや海の風景、汗だくで働いた後に流し込むビールがくれる幸福、そのすべてを美しいと感じている。


ただただ「暑さ」、その一点のみによって、この季節に対する全てがネガティブな感情にひっくり返されるというだけなのだ(仕様通りに完成しているのに面白くない、ストロングスタイルのクソゲーに通ずるものがある)。


小さい頃、こんなに暑かったって感じてたことを思い出せない。この20年で、そこまで気温が上昇してしまったということなのかな、と思って調べてみたけど、2000年の6月末でも30度くらいはわりと記録しているみたいで、まぁ、近年ほどではないにせよ、十分暑かったという事実に愕然としている。ぼくの好きなミュージシャンが言っていたけど、間違いなく子どもの頃は、暑さが口から出る感情の優先順位として、低かったんだろうな、と。


冒頭、夏がきらいだと述べたけれども、嫌や嫌よも好きのうち、なんて言葉があるように、どこか夏を好きでいたいと思っている自分もいるのかもしれない。何かを思い出したり、郷愁を感じるとき、そのシーンは不思議と夏っぽいものであることが多い。ぼくにとって、いちばん好きな季節である冬は、パワーをくれる季節だからかもしれないけど、夏はその逆に、センチメンタルさをこの心にもたらしてくれる。きっと、ぼくが夏に対してツンデレーションを持っていることの証左なんだろう。


そして、いちばんはきっと、このバンドのせいだろうね。


GRAPEVINE「here」from 15th Anniversary live at NHK Hall (2012.09.26)

https://youtu.be/q3cZycPkisQ

 

ぼくはもう、二度と未来で美しいだけの夏を感じることはできないだろうから、せめて思い出の中だけでも、きれいな夏を見つめていたいと、そう思わせてくれる音楽。この先、考え方は変わるかもしれないけれど、いまはそれで十分。さて、やっぱりなんとか、この夏を乗り切れそうだ。