フーテン少年日記 / Okoshi Naoto

ドードー・フロム・ザ・ユートピアという名前で音楽をつくっています。

好奇心はアシカをも殺す

先ほど、お風呂に入っていた。私は必ず湯船に浸からないと気が済まない人間だ。できれば2時間くらいは入っていたい。


ふと、湯船に浸かりながら、私は思いついてしまった。「いま、おれって、何分くらい顔を水につけていられるのかしら」と。思いついたらやらなくてはいられなくなる性分だ。ザブンッ、ブクブク、、、、ゲホッゲホッ!結果は1分6秒。タールでグズグズになった肺にしては、良いタイムを出せたと思う。結果がわかって、非常に良い気分になった。


自分で言うのもどうかと思うが、私は好奇心が強い方だと思う。散歩していても、「こっちに行ってみたらどうなるかな?」って思うし、初めて行く場所はいろんなところを見てしまう。もちろん迷子になる。小さい頃はとりあえず何でも口に入れちゃう幼児だったらしいので、30年経っても成長していないことがよくわかる。


周りからも「ロシアンルーレットくらいなら進んでやりそう」「1発くらいなら死なんやろ、とか思ってそう」と言われるくらいだから、おそらく私の性分は十二分に周囲に漏れ出ているんだろう。


好奇心は猫をも殺す、という言葉があるくらいだから、この性分というのは、まわりのみんなの方がよく理解してるということだろう。どこか、あぶなかっしいような、何をしでかすかわからないような、そんな不安定さを感じさせているのだろう。要は、私の好奇心は、何かの学びを得るような建設的なそれではなく、アンポンタン・トンチンカン・天津飯なのだ。


高いところが怖いのは、子どもの頃に高いところから落ちて怪我をしたからだし、刃物が怖いのも、小学生のころに彫刻刀で思いっきり指の爪を削いだからである。なのにロシアンルーレットが怖くないのは、私が銃で撃たれたことがないからであろう。動物が怖くないのも、動物に襲われた経験がないからだし、幽霊が怖くないのも、呪われたことがないからに違いない。経験したことがないものに対して、想像力は働けど、その感覚が現実として自分の肉体に降りてこないのだ。お腹が空いても、何かを食べようとするところまで心が向いていかないのも、餓死したことがないからかもしれない。死にたいは思ってないが、別に死んでも良いとは思っているのかもしれない。


撃たれるまで、本当に痛いのか解らない。噛まれるまで、私に本当に敵意があると信じたくない。呪われるまで、苦しいとは思えない。それは、ひとの心でも同じ。だから、ぶつかってみるしかない。ボロボロになったとしても、あなたを理解をしようとしていたい。仮に、わかりあえなくても。それもすべて、自分の納得のため。私はこう見えて、ウルトラ頑固おやじ。超絶ワガママ人間なのだ。


私はきっと、一生この好奇心に殺されていくのだろう。どうなるか先が読めたとしても、実際に自分がやってみるまで、信じられない。信じたくない。信じられるまで、納得ができない。例え、それで大怪我をするとしても。それが誰も幸せにすることがない無意味なことだとしても。きっと、報われることはなく、愛されることはないけれど、それは私がこの道を選ぶことを止める理由にはならないみたいだ。

 

だって、もう一回きみに会えるのなら、息を止めるのも怖くないんだよ。