フーテン少年日記 / Okoshi Naoto

ドードー・フロム・ザ・ユートピアという名前で音楽をつくっています。

銀河漂流船団

せっかく誰かがくれた言葉を「やっぱり嘘だったんだ」って思っちゃうのが、とっても嫌だなって、ここ最近考えている。

 

生きていれば、多かれ少なかれ、守ってもらえなかった約束や、忘れられていった言葉や、叶えられなかった指切りが、誰にだってあると思う。それらは結果としてそうなったかもしれないけれど、伝えてくれたものの根っこにあった気持ち自体は、少なくともその時点では絶対ホンモノで、嘘じゃなかったはず。誰も嘘にしようとなんて思っていなかったはず。


時が経てば、場面が違えば、人は変わるし、意図も変わる。それが自然なことだって理解している。だから、はじめっから嘘だったわけではない。そう信じたい。


のに、やっぱり、ジクジクとこの心が傷ついているのがわかる。ゆっくりと、確実に。勝手に期待して、勝手に裏切られたような気持ちになっているだけなんだけどさ。ジョーク以外の嘘をつかれるのがとても嫌いだ。裏切られるのはとても怖い。ぼくが嘘つきなのは、あらかじめ誰にも変な期待を持たれないようにしているからなのかもしれない。我ながら卑怯な言い訳。

 

だから、約束が破られてしまったとき、ノリとかその場の空気で、テキトーに話されてたのかな?って、考えたくない方向に考えが進んでしまう。ハナっから、そんなに大した気持ちで言ってくれていたわけじゃないんだろうなぁって、疑ってしまう。そんなら、はじめっから、期待させるようなことを何も言わないでいてほしかった。そう思ってしまう。いろんな場面でこの心が生み出すそんな些細な迷いの積み重ねで、ちょっとずつ情熱が摩耗していってると感じる。まるで、周りの全員をバカにしてしまっているようで、かなりキツい。


だけど、もし、もらったものをずっと信じることができるならば。それは嘘じゃなくて、まだ終わっていない約束になる。背中を押すお守りのような言葉になる。未来のその先までずっと続く指切りになる。考え方ひとつで、世界は変わる。それは大げさな慰めでも、カビくさい諦めでもない。死ぬまで笑顔でいられる理由になる一筋の優しさと慈しみ。だから、せめて裏切らないように、信じていたい。あなたの本音がどうであれ。


そんなことを考えていたら、やっと納得のいく言葉とメロディーが生まれてきてくれた。この曲には「銀河漂流船団」っていう名前をつけたんだ。音楽のすごいところは、文章にしたらこんなクソ長いだるい内容を、ギュッと凝縮して美しい表現に変え得る可能性を持っているところだよね。

 

同じような歌を30曲くらい作ってボツにしてきた。もっと爽やかで愛にだけ満ちた歌を作ろうとしていた。だから、こんなことを考えてなかったら、まだまだ似たような曲を作り続けていた気がする。良いか悪いかは別にして。でも、これがきっと、最期のピース。結局、言いたいことはこれだけ。ごちゃごちゃいろんなことをこの日記で書いたけれど、伝えたいことなんて、この曲で歌ってることだけなんだよね。


次の冬、アルバムを作りたい。それまでは、まだ、どの約束も終わっていない。まだ、どのページも破られていない。まだ、どのステージも始まっていない。だから、ずっと、あなたの言葉を信じていたい。それが何気ない、なんてことはない、ささやかな木漏れ日だったとしても、信じていたい。信じるから。