フーテン少年日記 / Okoshi Naoto

ドードー・フロム・ザ・ユートピアという名前で音楽をつくっています。

Wくんの結婚式に添えて

今日、友人の結婚式があった。彼はぼくの10年来の親友だ。仮に彼をWくんとしよう。

 

Wくんを一言で説明するなら、「とても気持ちの良いやつ」だ。クールかつ上品なただずまいからは伺い知れないくらい、情熱と美学にうなされ続けているようなやつで、そして、なによりも義理人情に溢れている。さながら、情に二本足をつけて立たせたようなのがWくんだ。


サンプルをひとつ。あれは忘れもしない、ぼくが大学生の頃。哀れ心を失った大学生のぼくの寝泊まりする独房は、ほとんど廃墟のような凄惨な景観を映し出していた。こりゃいかん!と奮起したWくんとその他の友人たちは、持参のゴミ袋10数枚を片手に、嫌な顔ひとつせず(いや、ふたつかみっつくらいしてたかも?)、廃墟の独房を見事に部屋と呼べるものにしてくれたのでした。普通そんなことできないよね?


ふたつめのサンプル。彼とぼくは心が通じ合ってる。と確信している。ように錯覚するくらいには、信じているルールが似通っている。じゃないと、シャーマンキングや、お笑いや、野球の話で、6時間電話するようなバカみたいなことに付き合ってくれる理由が解明できない。去年のM-1でオズワルドが負けて、心が砕け散ったぼくに朝5時まで付き合ってくれたことには、本当に感謝している。


そんなWくんの結婚式だから、久しぶりに集まった他の友人たちも最高(奇しくも、廃墟の独房清掃隊のメンバーたちが勢揃い)。大袈裟な会話で現在地を確認し合わなくたって、マスク越しの細やかな会話が、たまに合う目と目が、ぼくたちを昨日も会ったかのような空気で包んでくれる。


Wくんご夫婦や友人たち、参列された方々の表情は、眼差し以外隠されてしまっているけど、その向こうの、緩やかに口角が上がった微笑みを想像すると、心が血を流しているような、とても穏やかで優しい気持ちになった。


結婚式っていうのは、きっと自分が主役として経験することはないだろうからこそ、綺麗なファンタジーだと思っていて、その中で友人が祝福されている景色は、言葉にできないファジーな感情をぼくにもたらしてくれた。

 

いろんな場面を彼と共有してきたような気でいるけど、彼にはぼくの絶対知り得ない過去と経験があって、心も身体も磨き合ってきた仲間がいて、素敵な時間を経て夫婦になった奥さんがいる。そんな当然理解しているはずの事実が、いざ目の当たりにすると、ぼくにはとても眩しくて重かったけれど、彼はしっかりと背負って、最高の笑顔を見せてくれていた。ここまでの道程の困難さなんて、1mgも感じさせずに。


Wくん、久しぶりに「ただ美しいだけ」な1日の、その景色の一部にしてくれて、どうもありがとう。そして、おめでとう。想いがあふれすぎて、うまく笑えなくてごめんね。この機会にエクスキューズさせてもらいます。どうか、この先の物語がハッピーエンドでありますように、愛を込めて。挙式の時に降り始めた雪は、きっと祝福の花びらの代わりだぜ。


あ、そういえば、こんな大事な1日に、ぼくが作った曲を流してくれたことにも感謝しています。まぁ、それに関しては、「だよね?」って気持ちも。だって、きみたちのことを歌ったんだぜ、この曲。最悪のタイミングでお手洗いに行ってたことはご愛嬌にしてくれよな。

 

ハームレス

https://youtu.be/C61dcoxc_Kw


久しぶりの日記が、自分のことじゃなくて、友達のことを書けたのは、なんだか良かった。今日のところは、思い出話はこれくらいにしておきます。またどこかで。次会う時まで、それぞれの場所で咲き溢れていようよ、くらいの軽やかさで。