フーテン少年日記 / Okoshi Naoto

ドードー・フロム・ザ・ユートピアという名前で音楽をつくっています。

バッド・ドリーム・ハッピー・プリンス

「幸福な王子」という童話がとても好きだ。

幸福の王子、というタイトルの場合もある。助詞が違うだけで、だいぶ印象が変わるけれど、今回はそこには触れずに話を進める。

 


読んだことがあるひともたくさんいると思うし、あらすじを書こうとすると長くなるから割愛するけれど、オスカー・ワイルドが書いたこの児童向け小説は、博愛と自己犠牲の美しさと悲劇性を孕んだ作品だと語られがちだけど、おれはこの王子のとてつもなく自分勝手な部分が大好きだ。

 


冬が来る前に南国に渡らなくてはいけないツバメを唆して、自身の身体の宝石や金箔貧しい人々に渡す手伝いをさせる。その後にツバメに待ち受ける結末や、一瞬の幸福が訪れた人々に訪れるそれからに関しては、一切の勘案もなく、自身の行いが世の中を良くするのだと信じて。その部分におれはとてもつもない美しさと孤独を感じる。どこか宮沢賢治的な世界観と重なる部分をもつこの物語は、幼少期からおれの中の大事な部分を占めるペーソスになっている。

 


この話はおそらく、自己犠牲の賛美ではなく、自らを引き換えにした博愛が産む悲劇性を描いてる。という批評を読んだ。それはおれもそう思う。

 


でも大丈夫だよ、王子様。おれも一緒だからね。自分を犠牲にすることがハッピーエンドどころか、大事な存在を殺してしまうような悲劇を生むとしても。幸福を願ったひとびとに、恩を仇で返されて自身の身体を焼き尽くされようとも。そういう生き方を決めてしまったのなら、もう、それが総て。

 


おれ自身のことを話せば、自分の行動がどう思われるかには、あまり興味がなくて。見返りがあるかなんて、本当にどうでも良いことだし、仮にこの心が誰かに向けた感情や行動が優しさや博愛や愛情だと受け取ってくれたとしても、それは受け取ってくれたひとが持ってる優しさ、おれには関係ない。

 


自分の心で決めたこと。それがきっと、未来を良くするって信じたこと。それだけがおれの慈しみ。努力は実らなくても、裏切られたとしても、それはただの結果だからね。自分が信じる美しさはひとつたりとも傷つかない。少しだけ涙を流して、おれはおれの路を往くよ。

 


そんな考えは幻だと誰かにうしろゆびを指されようが、信じた光にこの目を焼き尽くされようが、別にそれでかまわない。この先のずっと未来まで、慈しみだけで頷けるように。まぁ、もし、おれが焼け死んだ時は、願わくば桜の木の下にでも埋めてもらえるよう、ここに書き残しておく。毎年春になったら、みんなを見守るからね!