フーテン少年日記 / Okoshi Naoto

ドードー・フロム・ザ・ユートピアという名前で音楽をつくっています。

Don't trust over 30.

ネジを巻いている。キリキリと、キリキリと。心か、身体か、あるいはそのどちらでもない部分か。どこに作用しているのかなんて、一切理解していないけれど。ぼくはまだ、ネジを巻き続けている。

 

今日、とうとう30歳になってしまった。便宜上、とうとう、という表現をしてみたものの、全然そんな感覚がしないというのが正直なところだ。普段ぼくは、自分の年齢にほとんど自覚がないし、誕生日を祝われるのもあまり好きではないので、極力こういうことは避けてきたのだけど、今回ばかりはなんとなく節目なのかなという気がしたから、今の自分の気持ちを書いてみることにした。


Don't trust over 30.


ロックの世界では有名な言葉らしくて、意味としては「30歳以上の人間の言うことは信じるな」というものだとのこと。ぼくはこの言葉を初めて知った時、「自分が30歳を越えたなんて、信じるな」という風に解釈していた。


そりゃあ、自分が30歳になったなんて信じられないもんね。ぼくが子どもの頃に想像していた30歳の男性は、誰から見てもかっこよくて、洒脱で、一端の人間として自信を持ってる存在、そういうイメージがあったものだから。


翻って、いまの自分を客観視してみると、困ったことに苦笑いしかできない。ぼくは10年前と変わらず、他人と話すのが苦手だし、自分勝手な人間だし、全く進歩していないような気にしかならない。およそ、自分がイメージしていた30歳の人間とはかなりの距離があるものだから、30歳になったなんて信じられないのも当然と言えば当然。全くもって、大人になれてない。なんなら、これからもなれそうにはない。


それなのに、週4でゲロ吐くくらい体調は悪いし、思考もめっきりとキレを失ってしまっている。心も鈍くなって、感動することも随分と減ったし、誰かの気持ちの機微にも殊更に無頓着になってしまった。どうやら、この機体に来ているガタは、しっかりと30年相当のものらしい。


でも、それがなんだというのだろう。10代の頃、初めてGRAPEVINEを聞いたときの衝撃は、今でもこの胸を瑞々しく満たしてくれているし、20歳の時に読んだデミアンは、変わらずにこの胸を引き裂こうとしてくれる。


何もかもが嫌になっても、相変わらず、音楽を作り続けているし、映画も小説も漫画も好きなままだ。誰かといるのがしんどくなっても、友人たちのことは、今でも、これからもずっと、愛していると胸を張って言える。生きることが面倒臭くなっても、どうにか生きている。ちゃんと今の自分として。


たった30年の中でも、たくさんの失敗と、哀しい出来事と、わずかなしあわせがあった。けれど、良いことだろうと悪いことだろうと、すべてはもう、二度と元の形には戻せない。良くも悪くも、変わらないものは変わらない。


自分の現在地がどこであろうと、望んだものではなかろうと、決めてしまったのなら、前に進み続けるしかない。果たして向かう先が、明らかなバッドエンドだということがわかっていたとしても、もう、立ち止まるという選択肢は選べない。


改めて、ぼくのマインドはあの頃と全然何も変わっていないということをわからされたもので。年齢なんてただの積み重ねた年月なんだから、という捉え方もできるしね。RPGのレベルとかじゃないから、ただ30年生きているだけのガキンチョなんだな。


ぼくはきっと、これからもこの機体のネジを巻き続ける。ピエロだとしても、馬鹿だとしても、あの頃の気持ちと変わらないままで。だから、ぼくの言うこと、信じてくれて良いよ。

 

優しさって何だと思う?

優しさって、なんだろう。もう30手前になるけど、未だにこのディフィカルトすぎる問題に対して、グズグズと思案に暮れてしまう。あと、途方にも暮れてる。

 


おれは、生まれてこの方、ちっとも優しくいられた試しがない。あらゆる行為が全部自分のため。自分の好きなひとたちにはハッピーでいてもらいたいっていう、あまりに自分勝手な意志で作り上げた理想の世界を見るために、自分がやりたいと思ったことをやって、言いたいことを言ってるだけ。完全に藤原基央の世界観。自分のためだから、それ以外何も欲しくないし、何も望んでいないんだよ。

 


だから、そんなおためごかしに対して、誰かから「優しい」って言葉をかけてもらってしまうと、すごくむずがゆい気持ちになってしまう。「全然そんなことないよ」って言って、否定してしまいそうになる。だって、全然そんなことないもん。自分の思い通りの世界にするための行動なんだから、発想としてはほぼ世界征服を目論む魔王。

 


「優しいっていう言葉は、自分にとって都合の良い人間にかける言葉だ」という考え方もあるけど、おれはそれにはあんまり納得がいってない。

 


誰かの行為を「優しさ」として受け止められるのは、きっと、受け手のなかに優しさがあるからだと思っている。受け取ったものを「優しさ」と名付けて、相手に伝えられること自体が、すごく優しい現象。だから、おれの行為に対して優しいって言ってくれるひとたちがいるとすれば、それはきっと、きみたちが優しいからなんだよ。むずがゆさの正体は多分この感覚。誰かのことを優しいって言える、きみたちこそが優しいんだぜ。

 


恥ずかしいことに、おれは本当に誰かからの愛情を受け止めることが下手くそな人間なんだよね。「おれはそんなことをしてもらえるほどの人間じゃないからさ、、、」っていう発想が先に出てしまうから。そんなんだから、本当に優しくない人間だなぁ、って、ずっと思っている。せっかくの好意を、いつだって台無しにしてまう。自分はやりたいことをやって、愛情を押し付けてるのに、相手からのそれは通せんぼ。悪魔かおれは。誰かを愛することは簡単だけど、本当に難しいのはもらった愛を受け止めることだって、シャーマンキングの葉くんも言ってたし。本当にその通りだよね。

 


そういうわけで、まず、おれがはじめたいのは、もらったものをしっかりと受け止めて、それに対して真摯に応えること。その寛容さ。みんなみたいに、誰かの行為に対して、「優しい」って、名付けられるようになりたい。正直、「優しさって何だと思う?」の偉大すぎるクエスチョンに対峙するにあたって、あまりに細やかすぎる回答なんだけれど、いま出せる答えはこれがすべて。だからね、おれがちゃんと優しくなれたら、みんないっしょに笑ってね。

 

ひとりごと / BUMP OF CHICKEN

https://youtu.be/YR7gMP93CKI

 

何かする青年

おれはいつも、何かを始める時、新しいステップに進む時、今持っているものを総て、捨てることからはじめてきた。


理由は至極単純。この手がいっぱいになっていたら、新しいものを手に入れることなんて出来ないから。そう思っていたから。


思えば、おれの人生はそんなことの繰り返しだった。すでに持っているものを自分で投げ捨てて、それをまた拾い集める作業。大切な思い出を地中深く埋めて、それをまた掘り返す作業。捨てたら拾ってまた捨てて。埋めたら掘り出してまた埋めて。この手には何もない状態が良い。なにもないということの美しさ。それがおれのルールだった。


だから、自分の手に余る喜びで胸がいっぱいになるとき、その度に失踪を試みてきた。誰の記憶にも残らないほど、鮮やかに消えてしまいたいと。それが美しさだと。よくよく考えなくても、大事なひとたちの思いを馬鹿にしてる行為だけど、おれにとってはそれだけが正解だった。


なのに、今回ばかりはそれが立ち行かなくなった。


いままで、こんなに上手くいってたプランが通用しなくなった。失踪すれば、新しい気持ちを、さわやかなスタンスを、美しい心を取り戻せていたのに、どうにもならなかった。


戸惑い。どうしようもなくなったおれは、きみに何度も電話をかけた。彼は慰めるでもなく、寄り添うでもなく、とても優しくこう言った。


「新しいルールが要る」と。


ありがとう。少し時間がかかったけれど、おれはいま、そのルールと出会えたよ。


継続。


そう言えば、この人生でまだ確認したことがなかったな。おれは、何も捨てないままで、どれだけ歩いていけるかということを。


維持すること。在り続けること。大事にし続けること。いつも優しくいること。変化しないことを恐れないこと。


このカバンに、どれだけパンパンに大切なものを詰めていけるか。詰めたものの重みに耐えながら、どこまで進んでいけるか。それを確かめたい。そう決めた。


綺麗事だとしても、決めてしまったらそれが総て。


愛してるよ。
それは確かなんだ。
だから、続けるんだ。

 


南下する青年 / BBHF
https://youtu.be/P0w_ceeo6sc

 

 

 

 

 

 

 

 

 

失踪のススメ

えー、失踪してました(何年ぶりで何度目かは忘れた)。ぼくの友人たちは、もう慣れっこだと思うけど、ご迷惑をおかけした方がいたなら、この場を借りてお詫びします。すまんぐーす。そんなわけで、今日は紹介したい論文がひとつあるので、引用して下記させていただく。

 


「失踪のススメ」 


【はじめに】
本稿は、ギリギリ捜索願いを出されない程度の失踪をかますことにおいて、プロレベルという自負のある筆者が、失踪について論じていく海洋冒険ロマン!!


【0.失踪の前提】
天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず。それならば、人ではない怪物は一体どうなってしまうのか。その謎を解明すべく、我々はアマゾンの奥地へと向かった。そこで探検隊が目にしたものとは!? いま、パンドラの箱が開かれる……!


【1.失踪の分類】
失踪を企てるときの(筆者の)心の働きをパターン化すると、以下の3つに大別できる。


①シンプルに何かもが嫌になって、逃げ出すように失踪。


②楽しい日々が続いたことにより、「こんな幸せは、自分には分不相応だ」という謎の判断から、孤独になることを選び失踪。


③周りのひとたちの美しさ、眩しさに憧れ、自分もそれに見合う人間に、かっこいい人間になりたいと思い、修行期間に入るために孤独になることを選び失踪。


ちなみに今回の失踪は、上記の②と③に該当する。気がしていたが、結局①だった気がしないでもない。

 

【2.経過観察】
この時点で、ほとんどの読者が脱落しているであろうが、そんなの関係ねぇ。筆者のこの3週間ほどの失踪の軌跡を記録しておく。


・3月1日
ぼくの価値は、残念ながらかなり低い。誇れるものはなにもなく、知識もスキルも一切持ち合わせていない。ぼくの周りのひとたちは、みんなかっこいいから、ぼくだってかっこよくなりたい。今日からはそのための修行期間に入る。決めたからにはとことんやるのが、ぼくのルール。あらゆる連絡は無視。SNSも基本的には(「基本的には」というところがミソ。何にでも例外はあるのだ)シャットアウト。気合い十分。


・3月2日
改めて音楽理論の勉強をはじめる。シンセサイザーの仕組みの理解や音作りの修練、鍵盤の練習にも努める。難しさに嘔吐する。


・3月3日
ひな祭り


・3月4〜5日
「修行といえば山っしょ!」という安易な考えと、大いなる決意を胸に入山。山と海を眺め過ごす。


・3月6日
思ったより寒いので下山。


・3月7〜8日
孤独と悲しみがピークに達し、苦しむ。申し訳なさと、自分が何も成長していない恥ずかしさから泣く。

 

・3月9日
当然なり!献愛は時に苦痛を伴うもの。だが、お前の胸にあるのは手をさしのべることの優越感のみ!


・3月12〜13日

大概のことがどうでも良くなる境地に辿り着く。


・3月14日
この期間に思いついた曲を改めて聴くと、押し並べてキショかったので、全てボツにする。情けなさで爆発し、嘔吐する。今度は比喩じゃなく。

 

・3月15日


・3月16日


・3月17日


・3月18日


・3月19日
甦れ。鮮やかに。


【3.結果】
暴走する母、ひと手間かけさせられる友人、ガン無視する友人、超法規的特務機関。
行きなさいナオトくん!誰かのためじゃない、あなた自身の願いのために!


【4.結論】

多分今後、ぼくの失踪は成功しないでしょう。甘くなって、温くなってしまった。優しくされるほどの人間じゃないのに、みんなが優しいから困ってしまう。


でも、わざわざ失踪なんかしなくたって、いつか絶対に会えなくなってしまう時がくるから、会いたいひとに会って、話したいひとと話しておいたほうが良い。それができるうちに。ぼくはダサくて、借りを返せないままだけど。


いつか、暖かい光の中で。あなたが笑う時、ぼくも其処に居たい。何も捨てず、この中身のままで、借りたものを返しに。きっと行くから。


大越先生の次回の失踪チャレンジにご期待ください。


【参考文献】

真空ジェシカ
https://youtu.be/VBCIWSwAeUo

 

One And Two / James Iha
https://youtu.be/inhV1f82smc

 

あのヘラジカはオルゴールを鳴らす

ぼくはもう、これから先、バンドを組むことは決してない。バンドは友達としかやれないし、やりたくない。Baumkuchenは、完璧にバンドだった。圧倒的な友情物語だった。もう、あれ以上のバンドは絶対にできない。それくらいに、最高の友人たちだった。


星月夜 / Baumkuchen
https://youtu.be/Sf57NY9-Cdk

 

Baumkuchenは、その初めこそぼくひとりの名前だったけれど、前みたいにその名前をひとりで背負う気持ちにはどうしてもなれなくなってしまった。


前にも話した通り、ぼくは前世の罪によって、生まれつき「常に異邦人でいなくてはいけない呪い」にかかってしまっている。


だから、いま過ごしている場所に居心地の良さを感じ始めたら、そこにいるひとの微笑みに優しさとさみしさを感じ始めたら、それはもう、お別れの合図。見てるだけで愛しいと思える間に、行かなくちゃいけない。その美しい風景が、当たり前になってしまう前に。


思い返せば、いつだって、ひとりで笑えたことなんてなかった。いま、ぼくのこの現在地は、少し満たされ過ぎている。笑顔と優しさにあふれすぎている。そろそろまた、ひとりだけの苛烈な孤独の中に帰らなくちゃいけない。誰にも理解させない、さみしさの中で、自分と向き合わなくちゃいけない。

 

そういうわけで、ぼくはBaumkuchenという最高の宝物にも、そろそろ一度さよならを言おうと決めた。腹をくくるまで、だいぶ時間がかかってしまったけれど。この先のいつかどこかで、人生の時間があいつらと交差した時に、また出会えれば良いのだから。

 

その一環として、しばらくは、どこにも辿り着けない異邦人として、ひとりで、独りの音楽を作る。そのためのペルソナに、ぼくは「orgel elk / オルゴールエルク」という名前をつけた(あらゆる友人に、「ピンとこない」と言われたけど)。

 

初めて知ったんだけど、オルゴールってオランダ語なんだね。orgelって書くと、なんのことだかよくわかんなくなるから、意地の悪いぼくにはぴったり。あと、動物の名前をどうしてもつけたいと思っていた。warbearみたいで、わりと気に入っている。


この曲は、orgel elkという屋号を背負って初めて世の中に出す作品。率直に言うと、「死ぬ前にこの曲が作れて良かった」という気持ちです。よかったら聞いてあげてね。フルコーラス版はまたいずれ、ね。

 

Moon Law / orgel elk

https://youtu.be/D06cUSOfPuc

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


バンドしたいや。あいつらと。

 

私でさえ私じゃなくても

(別に興味がない的なことを以前書いたにも関わらず)作った曲にあまりリアクションがなくて、ほんのちょっと落ち込んでる。という話をしたら、「お前が何者かわからん、得体の知れんやつやからや」という非常に真っ当なアドバイスを頂戴したので、今回は自己紹介回。

 

ぼくは1992年5月15日生まれのもうすぐ30歳になるおっさん(完全に余談だけど、King Gnuの常田さんと完全に生年月日が一緒)。世の中のおっさんは大体かっこいいので、早く35歳くらいになりたいと思っている。愛媛県出身で、血液型はA型。A型だけど、「A型だよね?」って人生で言われた記憶はほとんどない。その他の血液型は全部言われたことがある。大体B型と言われる。

 

趣味はキャンプと野球観戦とお笑い鑑賞。ちなみに大のカープファン。大学が広島だったから、そこでファンになった、、、と言いたいところだけど、広島から離れてから本格的にファンになった。2019年からのファンだから、もしかしたらぼくがファンになったせいでカープは弱くなったのかもしれない。カープファンの皆さん、この場を借りてお詫びします。お笑い芸人ではオズワルドが好きだ。去年のM-1のことはいまでも引きずっているので、最早ぼくがオズワルドなのかもしれない。

 

2018年くらいまで、広島でBaumkuchenというバンドをやっていた。まだ誰もやめてないので、今もやっていると言っても嘘にはならないと少し思っている。

 

好きな音楽はたくさんある。中学生くらいまではBUMP OF CHICKENが最強だったし、BUMP OF CHICKEN以外カスだと思っていた。かなり本格的な中二病患者だったからね。そんなぼくの音楽人生は高校の頃にGRAPEVINEと出会って大きく変わった。

 

GRAPEVINEと出会ってから、海外も含めてたくさんの音楽を聴き始めた。wilcoRadioheadビートルズ。その他にもたくさん。ぼくがGRAPEVINEとはじめて出会った頃の曲をひとつ紹介しておく。

 

指先 / GRAPEVINE

https://youtu.be/LIRb4OdwACg

 

そして、もうひとりのぼくの音楽ヒーローは門田匡陽。ぼくは彼のことを世の中で一番尊敬しているし、一番影響を受けている。音楽的な部分だけじゃなく、生き方、考え方。その全てがぼくの血になっていると感じるくらいには。

 

BURGER NUDSGood Dog Happy Menも大好きなんだけれど、最も影響を受けたのはPoet-type.Mだ。この曲を初めて聞いた時は、「あ、これは俺のために作られた曲だ」と感じた。この曲がなかったら、Baumkuchenは始まっていなかったと断言できる。

 

光の粒子 埃の中で(Departures) / Poet-type.M

https://youtu.be/LKAXd5SutH8

 

彼のおかげで、さらにいろんな音楽を聴くようになった。トム・ウェイツも、ジェフ・バックリーも。彼が教えてくれたデヴィッド・ボウイに憧れて、タバコは赤いマルボロを今でも吸っている。

 

好きな漫画はシャーマンキング。多分、ぼくの心の7割くらいはシャーマンキングでできている。大切なことは心で決める。葉くん、ぼくはいまでもそうしています。他にはヨコハマ買い出し紀行寄生獣なんかも、ぼくのペーソスになっている。

 

好きな映画もたくさんある。基本的にはSFやディストピアものが好きかもしれない。ガタカとか、V for vendettaとか。エターナルサンシャインとかもかな。ロードムービーものなんかも良く見ていて、ノッキン・オン・ヘブンズ・ドアや、ペーパームーンスケアクロウなんかは人生の映画ベスト10に入る。スモークやチョコレートドーナツも好きだ。あとは、アンダーグラウンドアンダーグラウンドはとても良い映画なので、みんなも見たほうが良い。そして、ジム・ジャームッシュ。これは鉄板。

 

ぼくは大学時代、日本文学を専攻していたのもあって、小説もわりとよく読む。大学の時は宮沢賢治の研究をしていた。いわゆる純文学が好みのようだ。もちろん海外文学も好きで、ヘルマン・ヘッセサリンジャーのような海外純文学や、ディプトリーJr.、ハイラインのようなSFの巨匠たちも、ぼくの人生に大いなる影響を与えてくれている。

 

ここまで書いてみたけど、結局こんな自己紹介では、得体の知れなさは拭えないだろう、ということは想像に難くない。なんなら、得体の知れなさに加えて、面倒臭そうな人間、というアイコンを自分に授けるだけかもしれない。自分でさえ、自分がよくわかっていない人間には、自己紹介はかなりのハードモードゲームだということがよくわかりました。まぁ、たまにはこんな日記があってもいいよね。ちゃんちゃん。

 

パーマネント・ストレンジャー

こういう気分の時は、ジム・ジャームッシュの「パーマネント・バケーション」を見ることにしている。むむ、見ることにしているっていうのはちょっと嘘だな。見てしまうのほうが正しいから。


彼が学生時代に作成したというその映画は、一言で説明すると、「何も起こらない映画」ではあるんだけど(というか、ジム・ジャームッシュの映画は全部そんな感じだよね笑)、初めて鑑賞した時は、「あぁ、こんなに同じ感覚を表現してくれるひとが、世の中に居てくれて良かった」と、心が血を流したことを鮮明に覚えている。いや、覚えている、は適切じゃないか。見るたびにそう思うんだし。


おそらく、ぼくは前世でとんでもない大罪を犯してしまったのだろう。生まれつき「常に異邦人でいなくてはいけない呪い」にかかってしまっている。

 

物心ついた頃から、何に対しても強い孤独を感じてしまう性分で。どんなに楽しい場所にいても、どんなに親しいひとといても。むしろ、楽しければ楽しいほど、みんなが優しくしてくれればしてくれるほど、自分はひとりなんだ、と、強烈に感じさせられてしまう。なんでだろうね、多分そういう性格ってだけなんだろうけど。大人になったら、もう少しまともに、普通になれるかなとも思っていたけれど、特に変わらなかったね。


ぼくの好きなミュージシャンは、「ひとりでぽつんとした孤独ではなく、波のように襲い掛かってくる孤独」という表現をしていたけど、それは完全に正解。取りつく島もなく、黒洞々たる波濤にひたすら流され続け、なんとか溺れないようにもがいているような感覚。


最近、楽しいことが多すぎた。嬉しいことが多すぎた。毎日、魔法の時間のように感じている。その分、その波は大きく複雑に荒れて、この心を引き流し、取り込んでいく。

 

もし、物語に大団円があるなら、自分はその場に存在せずにいられたらな、ってよく思う。美しいエンディングを迎えるとき、きっと、ぼくはそこにいないほうがもっとずっと素敵で、美しいはずだって。RPGの主人公って、大体そういうものだしね。まぁ、ぼくはどちらかというと魔王側の人間だろうけど。「しあわせの王子」みたいなのにも憧れるなぁ。自分自身のことを勘定に入れるかどうかって、あんまり興味ないことだから、俯瞰で見た時の結果が自分好みである方を選びたくなる。


でもね、もう良い大人だから、この孤独は未来永劫消えるものではないことを、ちゃんと理解しているんだ。その孤独と向き合って、理解してあげられるのは自分だけ、ということも。だから、誰にも共有できないし、そのつもりもない。きっと、なんだかんだ言いながら、この孤独を愛しはじめているんだろうな。


そんなんだから、昔から失踪癖があって、いろんなひとを困らせてきた。だって異邦人だからね。ぼくは永遠に異邦人。とりあえず、今回に関しては、あらかじめ謝っておきます。そろそろ、自分の心の世界を救ける準備をするから。

 

ぼくのバビロンはどこにあるんだろう。まぁ、別に、どこにもなくて良い。

 

少しずつ春がやってくる気配がしている。春はお別れの季節。ほら、大好きなメロディーが聞こえてきた。"大人になるなよ、無駄に許すなよ、二度と日和るなよ、きみは独り、絶対独りで無敵さ"。


楽園の追放者(Somebody To Love) / Poet-type.M
https://youtu.be/QWLIMJ9UgK4

 

とてもありがたいのは、ぼくの愛するミュージシャンは、こんな気持ちのときのための音楽をすでに作ってくれているということ。例えばこういうの。


Lesson / BURGER NUDS
https://youtu.be/cxqHL6Oj8MQ

 

All Bet / Good Dog Happy Men

https://youtu.be/1ogGaTU2BhY

 

こんなことを言ったり書いたりすると、ありがたいことに「何か悩んでいるの?」って心配してくれるひともいるんだけど、大丈夫。ずっとこんな感じで生きているからさ。悩むのが好きなんだろうね。まぁ、ひとつ問題があるとすれば、最近、心がBUMP OF CHICKENすぎて、言うことが押し並べて藤原基央になるので、その対策については相談者を募集しているよ。