フーテン少年日記 / Okoshi Naoto

ドードー・フロム・ザ・ユートピアという名前で音楽をつくっています。

ディア マイ マザー

 

今日はぼくの母親の誕生日だ。何歳になるのかは知らない。21歳の頃にぼくを産んでいるから、計算すると52歳か53歳になる気がする。そうしないと年齢がわからない。


彼女はぼくの人格形成に大いなる影響をもたらしている。


だから今回は、誰にも話したことがないことも含めて、母親について、ぼくが思っていることを記録してみようと思う。すごく残念なことだけど、微笑ましさやユーモアの類は一切ない、憎悪と怨嗟にまみれた日記になる(ただ、未来にあるのは圧倒的な希望!それだけは約束するよ)。


彼女はぼくを否定する天才だった。


幼少期のぼくに、できないこと、うまくいかないことがあると、彼女は、誰かと比較してぼくを嘲った。「あんたはほんとどんくさいな」と。できることがあったとしても、「あんたはほんと勉強だけしかできんね、取り柄はそんだけやな」といった感じで、およそ純粋に褒めることなんてしてくれなかった。何につけても、何に対しても。


気に入らないことがあると、手が出るのなんて日常茶飯事だったし、炊飯器や椅子や食器、あらゆるものを投げつけられた。夜中に家を閉め出されて、深夜まで入れてもらえないこともよくあった。そして、その原因のすべてがぼくになった。理由を説明しても、気持ちを伝えても、一切聞いてなんてくれず、すべて彼女の考えで物事は決められていた。そこに筋道や一貫したルールがあれば、まだ対策は立てられたかもしれないが、彼女の機嫌ひとつでそのルールは山の天気のようにコロコロ変わるので、ぼくはそれを思案するのを早い段階で諦めた。


ぼくのどことなく自己否定的な考え方やどこにも属すことができない孤独な気持ちは、おそらくこういった過去が影響していると睨んでいる。ぼくは生きていない方が良い、何をしても上手くいくことなんてない、どこにもいられない、むしろどこにもいない方が良い、誰からも必要とされないし、愛されもしないって考えは、幼少期からずっと、この心に深く根ざしてしまっている。誰といても、薄いヴェールを挟んだように、遠くにいるように感じてしまう。


ある日、ぼくは自分のおこづかいでチョコレートを買った。その時、友達がいっしょにいたのだけれど、別に特に気にすることもなく、自分のお金で買ったチョコレートなのだから、全部自分でたいらげた。それが彼女の逆鱗に触れたらしい。「なんで友達と分けっこできんのや!」と、鬼のように怒りをぶつけられた。


そんなことが繰り返しあったから、ぼくは自分で何かを所有しようという気がめっきりなくなってしまった。自分が持っているものは、全部誰かにあげたくなる。あげく、他人から何かをもらうことも恐れ多くなり、今でも、たまに誰かが何かをくれたとしても、それをそのまま別の誰かに渡してしまうことがほとんどだ。


いまでも覚えているのは、幼稚園くらいのころ、毎晩寝る前にされた「からあげの話」だ。「なおくんは、弟とペットの犬と暗い森を歩いています。みんなとてもお腹が空いて死にそうです。すると、目の前にからあげがひとつ落ちていました。半分食べれば、なんとかお家まで帰れます。さぁ、なおくんはどうする?」


もちろん、この話は、ぼくが泣きながら「弟と犬にあげる、、、」という回答をするまで、ジリジリと心を蝕む言葉の責め立てが続いたことは、そう想像に難くないと思う。物語のエンディングは「あー、優しいなおくんは死んじゃったね〜」だ。


ぼくが自分自身よりも、誰かの役に立つことを優先しようとしてしまうのは、こういった幼少期の影響が大きいと推測している。意図も理由も他者には判別不可能な、気持ち悪いくらいの自己犠牲。これはぼくのコミュニケーションスタイルに大きな欠落をもたらす要因になっている。自分に対する感情が希薄だから、何の迷いもなく自分というカードを一番に切れてしまう。だって、別に、自分がどうなったって興味がないから。


そして、何よりも徹底的にこの心を壊したのは、ぼくの好きなあらゆるものを否定してくることだった。好きな音楽も、好きな映画も、好きな漫画も、好きな小説も。おしなべて「暗くて気持ち悪い」「そんなんばっか好きやから友達おらんのや」と。


ぼくのことを否定するのはもう、かまわない。だけど、ぼくが好きなものを否定されるのは、本当に許せなかった。


そんな日々が続いたから、ぼくは自分の本音をあまり話せなくなった。どうせ、理解されないだろうな、言ってもわかんないだろうな、それなら初めから何も言わないほうが楽だ。好きなものはたったひとりで、大切に眺めていたい。この心だって、もう、誰にも触れさせない。うれしいことも、悲しいことも、そのどちらでもない感傷も、全部ひとりだけの宝物にして、誰にも見せておかないでいたい。そう強く思うようになった。そんなわけで、基本的には全ての人間を疑っている。


だから、自分の感情や思っていることがそう簡単に伝わらないように、意味のわかんないことを言ってお茶を濁してしまうし、優しいとか良いひとだって思われることが怖いから、イカれたふりをして煙に巻いてしまう。これが、ぼくが何を考えているのかよくわかんないひとだとか、変わっているって言われる理由であることも理解している。自分を見せないようにする自己防衛プログラムが働いているんだから、そりゃあ掴みどころがないと思われるのも至極当然。掴ませないようにしてるんだもん。


今日あったことやうれしかったことも別に共有したくないし、悲しいことや悩みがあったとして、誰かに話しても楽になんてなれない。むしろ、聞いてくれるひとをつらい気持ちに巻き込んでしまうのなら、話さなくて良い。そう思ってしまう。誰かがぼくを褒めてくれたとしても、それを全く実感できない。ちゃんといっしょに喜びたいのに。うれしい!ありがとう!って思いたいのに。どうしたって、心がまっすぐに受け止めてくれない。


だから、ぼくはもう、どこにもいられないし、誰ともいられない。未だにそんな感覚が根強く残っている。


その分、誰かに、特に好きなひとたち、愛しているひとたちに対しては、圧倒的な全肯定を押し付けるようになった。「否定されるのって悲しいもんな。大丈夫だ、おれだけは絶対に全てを受け止めて肯定してやる!」と言わんばかりに。これは決して優しさではない。きっと、自分を慰めるためのルール。わけのわかんないところで褒めちゃうのも、こういった感情が起因している。

 

大学生になって、失踪する癖が出だしたのも、一人暮らしをはじめて、縛られるものがなくなって、心を自由にさせることがようやくできるようになって、そのタガが外れたせいなのかもしれない。抑圧からの反発係数があまりに高かったんだろうな。


とは言え、もちろんここまで育ててくれた恩もあるし、(ぼくに興味がなくて、ほったからしにしていただけかもしれないが、)わりと自由にさせてくれたし、母親だという認識もあるから、すべてをこの女性のせいだと理由づけてしまうことがズルい行為だということも分かっている。だけど、ぼくと彼女を繋いでいるのは、もう義務感と情だけなんだろうな、というのが現在の正直な感覚。


最近、ぼくはほとんど食事が取れない。お腹は減るのだけれど、心が「ものを食べよう」とするところまで、気持ちを運んでくれない。これを書いている今も、丸2日食べていないんだけど、彼女はそんな様子を見ても「気色悪っ」「食べんのやったら用意するん面倒なんやけど?」だ。ぼくを心配する言葉はひとつも出てこない。いまさらそんなことで傷つかないし、心配されたところで、なんだけど。やっぱりこのひとはそうなんだなぁ、と実感せざるを得なかった。


あ、彼女の名誉のために言っておくけど、ぼく以外には優しくて、義理人情に厚いひとだよ。弟とかね。たまたまぼくにだけこうだったに過ぎないから。


こういった内容の日記を書いてみたのは、同情とか心配とかをしてほしいわけでも、自分のダメなところの言い訳やエクスキューズをしたいわけでもなくて。今年のぼくのルールが「逃げずにぶつかること」だっていうのと、それ以上に、なんだか同じような境遇にいるひとたちに、ちょっとでも勇気を与えたりできねぇかなぁ、って思ったからなんだ。向き合うのも、開示するのもひどく躊躇うほどのぼくの底の底を見せることで、誰かの勇気になれたりしないかなぁって。自分勝手だよね。


過去や思い出は、ある種の呪詛としての側面を孕んでいる。こいつはぼくの人生のラスボス。一生かけて戦い続けることを覚悟している。ぼくは、絶対にこのクソみたいな呪いに抗って、打ち勝ってみせるから。はは。悪いけど、元来のぼくは激烈に諦めの悪い超絶ポジティブ人間なんだ。必ずなんとかなる。見つめて、受け入れて、前に進むんだ。これを読んでくれているあなたと、ちゃんと笑えるように。


もしもあなたが「一生癒えない悲しみがある」って感じてしまっているのならば、ぼくは「きっと大丈夫だから!」って、遠いようで近い場所から声をかけているからさ。聞こえていなくても、ずっと声をかけ続けるから。いっしょにがんばろうね。

 

悲しみは多分、砂地に染み込む水みたいなもので、どうしたって無くなったりはしないと思うけど。代わりに、自分の一部にして、愛することはできるって信じてるから。そして、ぼくがあなたを信じることだって、きっとできる(あなたがぼくを信じてくれるかどうかはお任せだよ。信じてもらえるくらい、かっこよくなるから!)。


あー、お腹が減ったな。お腹が減るってことはちゃんと生きてるって証拠だもん。たまには、がんばれなくたっていいからさ。つらくても、悲しくても、ちゃんと生きて、いっしょに明日を迎えようぜ。